ユージンスミス(写真家)のプロフや経歴・水俣(映画)のロケ地は?

日本の四大公害と言われる水俣病をカメラに収めた
フォトジャーナリスト「ユージン・スミス氏」を主人公にした作品「Minamata」
ジョニー・デップ氏主演で期待が高まります!
映画の公開日についても色々リサーチしました。

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映画「Minamata」

熊本県水俣市のチッソ水俣工場による工業排水に含まれていた「メチル水銀」
この水銀を原因とする「水俣病」は、
魚介類を介して熊本県・鹿児島県の住民に中毒症状をもたらしました。
企業側の隠蔽や政府の対策の遅れなどにより、
長期にわたって被害が広がったほか、
その後の補償や救済をめぐる問題は現在までつながっています。

映画「MInamata」は、
第二次世界大戦における戦争写真家としての功績を評価されたスミス氏が、
1970年代に友人の編集者による依頼を受け、
水俣病を取材するため日本を訪れる様子を描くものになるそうです。
スミス氏は水俣に居住して患者の姿や病気の実態、
その後の様子を克明に撮影。
1972年にチッソの工場を取材した際には、
従業員(企業に雇われた暴力団員ともされる)の暴行を受けてカメラを破壊されたほか、
脊椎を損傷、片目を失明する重傷を負っています。

本作の監督を務めるのは、
俳優・プロデューサー・映画監督として活躍するアンドリュー・レヴィタス氏。
脚本はデヴィッド・ケスラー氏が執筆。
撮影監督はブノワ・ドゥローム氏。
美術監督はトム・フォデン氏&ケヴァン・ヴァン・トンプソン氏。
スタッフは日本で水俣病患者や家族への面会や取材を行っていて、
サポートを受けて製作に入っているそうです。

早速2019年1月に日本で撮影が開始されています!
と言う事は、熊本県水俣市ですね。
水俣が発生したのが「不知火海沿岸」

工場はこちら

その後セルビアでも撮影が行われる予定です。

気になる映画の公開日は「未定」となっていましたが
2020年の春辺りが有力なのでは無いでしょうか?
情報が分かり次第追記します。

キャストは?

ユージン・スミス氏を演じるのはもちろんジョニー・デップ氏。
その他に日本人キャストも出演されます!
真田広之さん、浅野忠信さん、加瀬亮さん、國村隼さん!
めっちゃ豪華な顔ぶれが結集ですよね。
パイカリでデップ氏と共演したビル・ナイさんも参加しているらしいです。
まだ各出演者の役どころは明らかになっていませんがこれは熱いですね!

ウィリアム・ユージン・スミス

名前:ウィリアム・ユージン・スミス(W.eugene.smith)
生年月日:1918年12月30日 ~ 1978年10月15日(享年59歳)
出身地:アメリカ・カンザス州ウィチタ

母方の祖母が、アメリカインディアンのポタワトミ族の血を引く。

母:写真家
父:小麦商
大恐慌で破産し、1936年4月30日、スミス氏が高校を卒業する1か月前に、散弾銃で自殺。

スミス氏はこのことから、人の命や医療、ケアに強い関心を持ち続ける。

スミス氏は、インディアナ州のノートルダム大学で奨学金を受けますが、すぐにニューヨークへ移り、「ニューズウィークマガジン」で働き始める。

この頃、スミス氏は、カルメン・マルティネスさんと結婚。

第二次世界大戦中にサイパン、沖縄、硫黄島などへ戦争写真家として派遣される。

1945年5月:沖縄戦で歩兵と同行中、日本軍の砲弾の爆風により全身を負傷し、約2年の療養生活を送り、生涯その後遺症に悩まされる。

戦後、日常にひそむ人間性の追求や人間の生活の表情などに関心するようになり、1947年から1954年まで「ライフ」で、「フォト・エッセイ」が掲載される。

1950年:イギリス労働党の党首選挙を撮りにイギリスへ渡ると、クレメント・アトリーに共感を抱きますが、ライフ誌編集部の方針と合わず対立し、その写真集はイギリスの労働者階級だけの限定販売となる。

1954年:「A Man of Mercy」を巡り、再びライフ誌編集部と対立して、結局関係を断ち切る事に。

1961年:日立のPR写真撮影の為に来日。

1970年:アイリーン美緒子スミスと再婚。
同時期に、チッソが引き起こした水俣病の取材活動始める。

1972年1月:千葉県市原市五井にあるチッソの工場を訪問した際、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生。
スミス氏はカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。

「ライフ」の1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表します。

1974年:水俣からアメリカへ帰国し「水俣」の本を完成させると、ニューヨークに移るが、スミス氏の友人たちは、彼の健康状態が悪いことに驚き、アリゾナ大学で教えるよう手配。

1977年11月:アリゾナへ転居。

1977年12月23日:脳溢血で倒れる。
しかし翌年、奇跡的に回復。セミナーを行うまでになります。

1978年10月15日:アリゾナ州トゥーソンの食料雑貨店へ猫のエサを買いに来ていた際、発作を起こし還らぬ人に。
享年59歳。

スミス氏の家族

ユージンスミス氏は生涯に2度結婚をしています。

1人目は1940年頃、カルメン・マルティネスという女性と結婚し、1年後には長女マリッサを授かります。

ワニータという娘さんもいらっしゃる様ですが、年齢など不明。

1957年:離婚

スタンフォード大学の学生だったアイリーン・美緒子・スミスさんと仕事を通じて出会い
1970年に結婚。
スミス氏は51歳。
年の差婚ですね。
美緒子さんは1950年にアメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれました。
大学時代は語学力を生かして、
テレビ局で通訳として富士フイルムのCM制作の仕事に携わっていたそうです。
そこでスミス氏と巡り会ったそうです。

結婚後1971年~1974年まで、ユージンスミス氏と共に水俣に住み、
共同で撮影・取材を続けます。

愛用カメラ

「完全主義者」なスミス氏の愛用カメラは、「ライカ」だったそうです。
ライカこそが自分と三位一体となり、表現して使えるカメラだったのでしょう。

しかし、「水俣病」の写真のほとんどはライカで撮影していないそうです。
なぜなのでしょう。

水俣で使用したいたカメラは、「ミノルタ」
当時、水俣病の撮影で来日したスミスが持って来たのは、もちろん「ライカ」
しかしそのライカは先程も取り上げましたが
日本で暴力団達に破壊されました。
スミス氏が困っていることを聞いたミノルタは、
彼に全面協力で無償提供したカメラが「ミノルタSR」だったのです。

完全主義者なスミス氏はきっとミノルタの
カメラやレンズの機能に納得したからこそ使用したのでしょう。

そのミノルタSRですが、スミス氏はなんと、全身に7台も担いで撮影していたそうです。
7台ですよ。
写真に対する熱意、半端ないですね。
首から3台、左肩に1台、右肩に2台、手に1台…
肩が凝りそうですね・・・

しかし、このミノルタSRは「ユージン・スミスが認めたカメラ」って事になりますね。

まとめ

最後になりましたがスミス氏の代表作をご紹介したいと思います。

・楽園へのあゆみ
「The Walk to Paradise Garden」
・カントリー・ドクター
「Country Doctor」
・助産婦
「Nurse Midwife」
・アルバート・シュヴァイツァー
「A Man of Mercy」
・ミナマタ
「Tomoko Uemura in Her Bath」

未だに解決されていない「水俣病問題」
これに立ち向かって被害の大きさを世界中に伝えようと
命がけでシャッターを切ってくれたスミス氏。

この映画で水俣病を知らない若い人や世界中の人に
何か伝わればいいと思います。

それではまた。

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